元女子アナの宅録レッスン

元アナウンサーが宅録講座開講中。宅録に関する情報満載です。

ふつうの平凡な私がテレビ局のニュースキャスターの夢を叶えられるまでの軌跡

 

    女の子の憧れの職業 アナウンサー かっこよくニュースを読みたい!

 

テレビで見る女子アナのみなさんは きれいで、スタイルも良く、頭が良くて、しかもバイリンガルの方も!ふつうの人は正直なれません。

 

しかし、ごくごくふつうの私が ローカル局のテレビではありますが、夕方のニュー ス番組のキャスターまでたどりつけました!

 

アナウンサーという職業につきたいけど具体的にどうすればいいのだろう?って思っている方に私がたどった道をふり返ってみます。

 

 

現在、高校生・大学生で テレビ・ラジオでニュースを読みたい!!方は

  • できれば大卒を目指す(放送局に就職でなければ高卒大丈夫)
  • 全国の放送局を受けてみる
  • オンエアのオーディションに声がかかるタレント事務所に所属する
  • 特技を身につける(フリートークや面接でPR材料です)
  • みんながへえ!って驚くような経験をしておく(フリートークや面接でPR材料です)

 

 現在 OLさんや局アナを目指してない方は とりあえず(アナウンサーや司会業など声の仕事をメインに派遣している)事務所に所属することです。

 

そこではレッスンも行っていたりするので 積極的に参加して、いろんな人とつながることで世界が広がっていきます。

  

ふつうの平凡な私がテレビ局の報道キャスターになるまでの軌跡(奇跡)

ここからは 私がたどってきた道をふり返ります。

 

ふつうな私と書きましたが どちらかというと 第一印象 あまり目立たない感じで

スタイルも下半身デブな感じです(涙)

 

こんな私が ローカルのテレビ局の夕方メインの報道番組のアナウンサーとしてオンエアすることができました!

   

声を出すこととの出会いは 中学校の演劇部

なぜ 演劇部に入部したかというと1年生歓迎会での劇がとてもクオリティが高くて すごい!と感動したから。ここで ステージに立つことの楽しさを知ったのでした。

 

高校の演劇部は 私が思っている雰囲気と違っていたので放送部に入部

ここで 高校生の放送コンテストというものがあるのですが 全国大会を目指して朗読部門で出場。

 

審査員もする先生に私の朗読を事前に聞いて頂いた時に『有望だ』と めちゃくちゃ嬉しいコメントを頂き有頂天に!!!

 

そして本番当日 予選をトップで勝ち上がり本選に。。。。。。。

上位に入れば 夢の東京全国大会出場(当時は関西在住)

 

ここで あまりに気負いすぎ感情たっぷりに時間をかけまくりやりすぎ

 

落選 

 

悔しくて 悔しくて 悔しくて

 

この経験が 絶対アナウンサーになってやる!という決意をさせることに

 

高校を卒業して 京都の短大へ入学が!しかし 地方のテレビ局かラジオ局にアナウンサーとして採用されたい!と思って調べると 大卒でないと受験資格すらない。

 

そこで 短大を入学と同時に 4年制大学への編入を視野に多く単位を取りことを計画し 短大1年生の7月からアナウンサー養成専門学校へ入学。

 

短大に通いながら2年間 夜間に週二回専門学校へ通う日々を送る。

 

余談ですが この専門学校で共に学んだ友達が その後 東京でレポーターとして大活躍。その姿がキラキラしていて とても嬉しかった。誰でもが知っているリポーター達と一緒にお仕事していたのです。すごいです。

 

話は戻って 専門学校を2年で修了し その専門学校が斡旋している大阪の地下街でのアナウンス業務の仕事をいただけることになりました!

 

これが プロとしてのデビュー!アナウンスをしてお金を頂くことができました。

 

勤務は12時から20時まで。休憩は1時間。畳1畳ほどの小さなブースに たった一人こもってのお仕事です。5分から10分おきに 「ようこそ お越しいただき ありがとうございます」のようなアナウンスをしたり、迷子や落し物があれば 対応していました

 

そうこうしているうちに 短大を卒業 4年制大学への編入試験も無事 合格し 局アナの入社試験を受けるための資格も得られることになりました。

 

そして 臨んだ就職活動!夢の局アナ!を目指し 出陣!!

 

全国の放送局のアナウンサー募集を追い求め 南は沖縄 北は青森まで テレビにラジオ、FM局までアナウンサー職を求めて履歴書を送り 試験会場へ向かう日々。

 

貧乏学生だったので 夜行バスやら夜行電車やらできる限り安く現地まで赴き 面接

一体いくらかかったんだろう?20社から30社くらい受けた気がします。

 

あるラジオ局で 最終審査での出来事(私は最終までいってませんが最終に残った友人談)です。最終審査に残ったとっても目を引くきれいな方だったそうで、そのテストのラストで 原稿を読み終え、審査員に向かって にっこり笑顔を向けたらしい

 

その瞬間、審査員から『かわいい〜〜〜』と 思わす 声が出たのを 友人が聞いたそうです。受かったのは もちろん その笑顔が素敵だった方でした。

 

もう一度言います。 テレビではなくラジオでした!

 

そういう世界なんですよね。容姿端麗でないと やっぱり厳しい。あるいは何か光るものを持ってないと 厳しい。フリートークが超絶うまいとか びっくりする特技を持ってるとか 頭がめちゃくちゃ良いとか バイリンガルとか・・・

 

私は ごく普通の女子。特技もなければ、バイリンガルでもなく、フリートークは苦手。専門学校に通っていたので多少原稿を読めるくらい。

 

結果は・・・すべて落選・・・

 

甘い世界ではなかった

 

が しかし ここで実家のある地元のラジオ局で久しぶりのアナウンサー採用試験があって(地方局では毎年アナウンサー採用試験はありません)受験し落選していたのですが 地元ということで 採用試験には落選したけれど朝の番組のリポーターをやってみませんか?というお話を頂くことになったのです!!!

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月から金の帯の番組です 朝の2時間半の番組で私の出番は2回。

1回目は 街に出て その日のテーマに合わせて街の人にインタビューで2回目は アンケートをとってその結果をお話するというものでした。

 

初の夢のオンエア!23歳の時でした。

 

どこのタレント事務所にも所属せず 得られたお仕事。

 

でも 当時の私は はっきり言って 世間知らず。フリートークも下手くそだし街の人にインタビューするってとっても難しい。その番組の担当ディレクターとの相性も最悪

半年で降板させられてしまいました。

 

が ここで 捨てる神あれば拾う神あり。週1回ですが 日曜日のスポーツニュースの

アシスタントのお話を頂きました。ニュースです!やりたかったニュース番組。

 

ニュースを読める!アナウンサーです!

  

この時点でも まだ 全くのフリー状態でした。タレント事務所を探すべきでしたが

週1回のオンエアと平日は普通にアルバイトをしていました。そのアルバイトは 104の番号案内(104の番号案内知らない方も多いかも^^;)なんとか 声のお仕事していました。

 

1年ラジオでのオンエアのお仕事をして継続のお話も頂いたにもかかわらず私は ここで とある理由から このお仕事を手放してしまいました。

 

さあ ここからが大変でした。って ここまでも大変でしたが!

 

タレント事務所を探さなければ!あまりよく調べもせず 在住している市内にあった事務所を訪ねてみました。

 

本来はオンエアしたいのならオンエアのオーディションの話がくる事務所を探すべきところを 私は ブライダルの司会の事務所に行ってしまいました。

 

この時点でブライダルの司会の経験ゼロです。ところが その事務所では 急ぎ 温泉娯楽施設にあるステージで行われるイベントの司会者を探していたらしく 面接してすぐに その施設に見学に行って そこの先輩に話を聞くようにと 社長が面接してすぐの私に言うのです。

 

まあ よくわからないけど 指定された日にその施設を訪れました。

 

そこにいたのは 私より5つほど年上のブライダル司会のベテランの方でした。

 

その施設にあるステージでは温泉を訪れた人が 飲んだり食べたりしながらステージを楽しむというもので、土日には大物演歌歌手が来たり(私が実際お会いしたのは

 八代亜紀さん 村田英雄さんなど)平日には中国雑技団が公演したり1日3回のショーが催されるのですが、私に与えれた仕事は そのショーの司会進行というのがお仕事でした。

 

ステージに立って司会進行はしたことがなかったのですが、演劇部でステージに立ったことがあったことと原稿を読むことはできたので 漠然と 自分の中で この仕事 できる!と いう自信のようなものが湧き上がってきました。

 

その先輩の前で こんな感じですか?と やってみたところ この人(私)やれそうだと思ってくれたらしく 採用となり その先輩と私の二人が交代で司会を担当することになりました。

 

あとでその先輩に教えてもらったのですが 事務所は その先輩を信頼していたらしく

先輩がOKを出したので 私の採用が決まったそうです。

 

私が行く前に 何人もの人が 事務所からやって来たそうなんですが できそうな人は 一人もおらず 私にも まったく 期待していなかったと聞かされました。

 

このステージでのお仕事 本当に楽しかった!

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ステージを成功させるために 出演者はもちろん 音響さん 照明さん 緞帳の間合い

そして司会がピタッとマッチしたとき 素晴らしい瞬間を作り出せるのです。

 

その刹那的な 夢の時間 空間 空気感が 私は大好きでした。

 

このお仕事で 司会進行のノウハウを実践で 学ばせて頂きました。

 

事務所を訪ねた時に もし ブライダルの司会のための練習からスタートしてと言われていたら 私の人生は まったく違っていました。

 

このステージの司会という仕事 そして 仕事を通じて出会った人たちとのご縁で

今の私がいるかと思うと とても不思議なご縁を感じています。

 

このステージの仕事に出会っていなかったら、私は夫と出会うことはなかった。関東に移り住むこともあり得なかったから。

 

このお仕事での楽しみは、ステージとステージの間の休憩時間にお風呂に入れること!

これは 役得でした。

 

さて この後ですが その事務所は ブライダルがメインだったので このステージでの司会のお仕事が終わってしまうと同時にその事務所とのご縁は切れてしまいました。

 

そして この時点で ラジオ局のリポーター、ラジオ局のアナウンサー、ステージでの司会、という立派な???経歴をもつことができていたわけです。

 

そこで オンエアのオーディションの話があり なおかつ人数少なめな事務所を探し、面接、所属が決まりました。人数が多いと オーディションのチャンスは広がりますが!地味な私が受かるチャンスは少なくなるから。

 

そして、所属後 1年くらいして 所属事務所から派遣していた某テレビ局の契約アナウンサーの方が辞めたいということで、その後任として 社長が 私一人を連れて テレビ局の面接に行ってくれたのです!

 

ここでラッキーだったことは 普通なら いくつものタレント事務所に 声をかけ オーディションを行うところ おそらく局側が 多忙だったため 他の事務所に声をかけず そのまま後任をと 話をふってくれたこと。

 

もう1つ なぜか 社長は 私一人だけを連れて行ってくれたこと。大きな事務所なら 絶対 複数連れて行きます。

 

そして これは後から 局の人に聞いたのですが 事務所が後任候補を連れて行くと約束していた日 なんと局の部長は それをすっかり忘れて出張に出ており 代理の平の社員さんが 私の対応をしてくれたのだと。

 

どうしていいかわからなかったから とりあえず 原稿読んでみて!と言ったらしい。

 

普通にソファに座ってニュース原稿を読んだことは覚えている。

 

普通に?原稿を読んだので 部長に 後任は 今日来た子(私)で大丈夫だと話してくれたらしい。めちゃくちゃいい加減だけど ラッキーとしか言いようがない。

 

運も実力のうち?

 

ということで念願のテレビでのニュースキャスターになれませんでした。

 

まだなんです。なぜ 後任探しが大変だったかというと ローカル局なので予算がありません。局のアナウンサーは すでに3人いらっしゃいました。

 

何が欲しかったかというと 記者 ディレクターが 必要だったのです。

 

局に入ってやらせて頂いた仕事は カメラマンと現場に行って取材して ニュース原稿を書くこと!でした。

 

修行と思い 半年ほど記者の仕事を頑張っていたところ やっと アナウンサーデビューの許可が!もちろん テレビのアナウンサーなんて初めてです。

 

局アナさんから 前日に簡単にですが ノウハウを教えて頂き いざ本番へ!

 

緊張しましたが なんとか乗り切り 局長さんからも 初めてなのに大したもんだと

声をかけて頂いて なんとか合格点は頂けました。

 

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27歳で 夢のテレビの夕方メインのニュース番組で アナウンサーの夢を叶えることができたのです。

 

この番組契約のアナウンサーとしての日々の中で1番の思い出は 報道特番の日 たまたま アナウンサーのシフトが私だったのでメインを務めさせてもらったこと。

 

『現場の◯◯さん!』なんていう呼びかけることもさせて頂きました。

 

選挙特番では 選挙事務所にリポーターとして赴き中継させて頂きました。想定外というか 私が これまた たまたまなんですが 担当した候補者が全国的に注目されていた方で 他局の記者の方が10人くらいつめかけていて でもローカルなので リポーターは私だけ。

 

マイクを何本も束ねたものを持たされ 当選するはずが、落選してしまった候補者にインタビューするという大役を任されました。

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束ねたマイクが あまりに重くてそのインパクトが強く残ってます

 

テレビ局では 経験できないだろう いろんな経験をさせて頂いて感謝しています。

 

なぜ ふつうの私がテレビ局の報道キャスターとして仕事をすることができたのか?知って頂けましたか?

 

このあと FM局で番組パーソナリティをつとめ その後 結婚で声の仕事を引退し主婦していました。そして 2018年12月宅録という世界を知ることになるのでした。